言われてみればそうだよね

不労所得で7年ほどセミリタイアして子育てしてましたが、2018年から復帰して投資講座を始めました。

「知ったつもり」が一番危ない

「知ったつもり」が一番危ない。


「知る」には3つの段階があると思う。

  1. 知識として知っている状態
  2. 経験として知っている状態
  3. 腑に落ちた状態

チョコレートで例えるとわかりやすい。

  • 「チョコは甘い」と本で読んだのが第1段階
  • 口の中に入れて甘さを体感したのが第2段階
  • 飲み込んで消化して、自分の血肉にしたのが第3段階

多くの人は第1段階で「わかった気」になってしまう。
ここが一番危ないところだ。

人にドヤ顔で語り出すのも、この第1段階のままのことが多い。

心理学では「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれていて、
知識が浅い人ほど「自分はよく理解している」と勘違いしやすい。

逆に、本当に理解が深まってくると、
「まだ自分は何も知らない」と感じるようになる。


つまり――

  • 第1段階で止まっている人ほど自信満々に語り、
  • 第3段階に近づいた人ほど静かになる。

でも、それぞれの段階を進むハードルは高い。
チョコをいつまでも食べない人もいれば、口に入れたまま飲み込まない人もいる。

特に第3段階は特別で、経験したからといって必ず辿り着けるわけじゃない。
むしろ、必死に理解しようとするより、
ふとした瞬間に全てがつながる。

そこまで行くと初めて、
「今までの自分は何もわかっていなかった」と気づく。


古代の寓話『莊子』より

あるとき斉の桓公という王が本を読んでいた。
車輪の職人がそれを見て「何を読んでいるんですか?」と尋ねると、桓公は「古代の聖人の知恵だ」と答えた。

「その聖人はまだ生きておられるのですか?」
「いや、すでに亡くなっておられる」

すると職人は答えた。
「それではあなたが読んでいらっしゃるのは、ただの聖人の残りカスですな」

怒った桓公に、職人はこう続ける。
「私は車輪を作る職人ですが、ちょうど良く作るコツは言葉では伝えられません。
息子に教えようとしても、どうしても伝わらない。やってみて、体で掴むしかありません。
もしその本を書いた聖人がもう死んでいるのなら、文字にできなかったものは全部消えてしまっています。
それならば、今読まれているものは、ただの残りカスではありませんか」


第3段階の理解は、まさにこの「言葉にできない部分」にあたる。
言葉や文字で届くのは第1段階まで。
その先は、自分で体験して、自分の中で腑に落とすしかない。

知識は借り物。
でも――

腑に落ちたとき、初めてそれは自分のものになる。

本音は、キーボードより手書きのほうがバレる

本音は、キーボードより手書きのほうがバレる。


アファメーションを書いたり、自分を深掘りするとき、PCやスマホを使う人は多い。
でも本当に効果を出したいなら、あえて「手書き」にした方がいい。


例えばアファメーションを書くとき、こんなことが起きる。

  • 「本当は望んでいないこと」を書いてしまう
  • 「正直こんなの無理だろ」と思いながら書いてしまう

このとき、キーボードなら何事もなくスラスラ打ててしまう。
でも手書きだと違う。


書いている自分自身が、その言葉を「嘘だ」と感じてしまう。

だから無意識に――

  • ペンが走り、文字が荒くなる
  • スピードが不自然に速くなる

そこに「違和感」として表れる。


つまり手書きは、自分の心にウソをついた瞬間を体感できる。
PCでは自分の心の微妙な揺れが表に出ない。

どんな言葉も同じフォントで整ってしまうから、
嘘でも本音でも見分けがつかない。

でも手書きだと――
文字の綺麗さやスピードにそれが現れる。
「自分は本当にこれを望んでいるのか?」を問い直すきっかけになる。


アファメーションや深掘りの目的は、
「自分の本音と向き合うこと」

その本音をごまかしたままでは、
どれだけポジティブな言葉を並べても意味がない。

人はなぜか、レシピを守らない

人はなぜか、レシピを守らない。


私はレパートリーは少ないけど、たまに料理を作る。
娘は「パパのハンバーグとオムライスは世界一美味しい!」と全力で褒めてくれるので、やりがいがある。

作り方はいつもシンプルだ。
レシピを見て、その通りに忠実に作る。
きっちり計量し、手順を守る。
それだけで大体の料理は美味しくできる。


ところが、多くの人はレシピ通りにやらない。

  • 「この調味料はちょっと多めにしよう」
  • 「ここは自分なりに工夫してみよう」

ついアレンジしてしまい、
結果、味がバラついたり、全然美味しくならなかったりする。


不思議なことに、これは料理だけの話じゃない。
仕事でも人生でも同じだ。

すでに成功している人は惜しげもなくノウハウを教えてくれる。
「こうすればうまくいくよ」と手順まで教えてくれる。

でも、その通りにやる人はほとんどいない。
聞いた人のうち、実際に素直にやるのは1%もいないという。


昔ベストセラーになった『夢をかなえるゾウ』のラストで、主人公にガネーシャが言う。

「今まで言ってきた秘訣はぜんぶ、君が持ってる本に書いてあったこと。
だけど君は全くやらなかったんだよ」

まさにそれだ。


人はなぜか「聞いたこと」「読んだこと」を実際にやらない。
レシピ通りにやれば美味しいのに、なぜか勝手にアレンジして失敗する。
本に書いてある方法をやれば成功の確率が上がるのに、なぜか自己流に走る。


本来は「守破離」と同じだ。

  • 「守」=型を守ること → これだけで十分な成果が出る
  • 「破」=型を破ること
  • 「離」=自分の流儀を作ること

逆に言えば、特別な天才にならなくても、
最初の「守」さえできれば、多くの人よりずっと先に行ける。

「少数派にいる自分は頭がいい」そう思っているとき、大概は間違っている

「少数派にいる自分は頭がいい」
そう思っているとき、大概は間違っている。


自分が少数派にいるとき、
論理的に考えても、科学的に見ても、自分のほうが正しいと確信できるなら、気にする必要はない。

歴史を振り返れば、最初は少数派だった正論はいくらでもある。
地動説もその一つだ。


問題なのは、論理や科学ではなく、感情的な衝動だけで少数派に立っている場合だ。

  • 「なんとなくムカつくから」
  • 「みんながそう言うと反発したくなるから」
  • 「自分の直感に従った」
  • 「ネットのインフルエンサーが言ってたから」

そんな理由で大勢と逆の立場にいるとき、
たいていは自分が間違っている。


感情的な少数派は、孤立感が燃料になる。
その孤立感が反発心を育て、ますます理屈を聞かなくなる。

どんな非論理的・非科学的なものでも、
欲しい情報はネットを探せば必ず見つかる。

やがて、人は「事実を探す」のではなく、
「事実を自分の主張に合わせる」ことを始める。


さらに厄介なのは、ネットの一部インフルエンサーが、
わざと無茶な逆張りをして、
「◯◯さんのおかげで真実に目覚めました!」という
陰謀論者を増やし続けていることだ。


少数派でいる理由が「論理」か「感情」かを見極めない限り、
人は自分を正しいと信じながら、間違いの側に立ち続けてしまう。

直感は、信じてはいけない根拠の一つ

直感は、信じてはいけない根拠の一つ。

私が物事を判断するときに信用する優先順位は、以下の通り。

順位 基準 特徴
1 科学(物理) 再現性があり、絶対的に信頼できる 人工衛星の観測で雨雲が来ている → まもなく雨」
2 論理 事実に基づき、筋道を立てて結論を導く 「西に雨雲+西風 → 雨雲がこちらに来る」
3 統計 大量のデータから確率的に予測 「梅雨は降水確率が高い → 今日も雨の可能性が大きい」
4 実体験 体験に基づく直感。ただし条件次第で外れる 「雨の匂いを感じた → 過去の経験から雨が降るだろう」
5 その他 根拠のないもの。再現性がない 「神様に祈ったから雨が降る」

なぜこの順番にしているのか。

実体験は、一見すると一番確かに思える。
自分の目で見て、耳で聞いて、体で感じたことだからだ。

しかし、実体験はサンプルが少なく、条件が変われば結果も変わる。
さらに、記憶や感情によって都合よく書き換わることもある。

「統計」は、個人の経験よりもはるかに多いデータをもとにしているため精度は高い。
「この条件下ではこうなる可能性が高い」という予測は日常生活でも役に立つ。
ただし、出所や条件を確認せずに信じれば危険だ。

科学や物理は確実に再現性がある。
論理もまた、正しい前提条件さえあれば、感情に左右されずに結論を導ける。

だからこそ、この2つは判断の最上位に置くべきだ。


逆に「その他」、占い、祈り、根拠のない直感、インフルエンサーの言葉などは、
たまたま当たることはあっても再現性がない。
それに依存すると、現実からどんどん乖離していく。

もちろん、人は感情の生き物だから、時には「なんとなくそう思う」だけで動くこともある。
だが、それを判断の土台にしてしまえば、精度は確実に落ちる。


もし、何かを判断するときは、
「これはどれが基準になっているか?」と、
一度立ち止まって考えると、誤った選択をする確率は劇的に減る。

頭の中でどれだけ考えても、実際にやってみなければ何もわからない

頭の中でどれだけ考えても、実際にやってみなければ何もわからない。
だからこそ、まずやってみることが大事だ。


私は縁日の射的が大得意だ。
大体は狙ったところにピンポイントで当てて、レア景品を手に入れることができる。
そのコツを娘に教えたら、彼女もすぐに当てられるようになった。

やり方はシンプルだ。

  • まずは、正しく構えて、しっかり狙って撃つ。
  • 初弾は「必ず外れる」と心得る。
  • その結果をしっかり覚える。

例えば、狙った場所から10cm下に当たったなら、
次は10cm上を狙えばいい。
これを繰り返すことで、どんどん的に近づいていく。

射撃の世界では、この修正のことをゼロインと呼ぶ。

つまり、
「狙う → 撃つ → 外れる → 修正する」
このサイクルを繰り返すことが、的に当てる最短ルートになる。


ここで一番大事なのは、最初の一発を撃つこと。
そして、それが「必ず外れる」と覚悟しておくこと。

頭の中であれこれ考えていても、実際にどこに外れるかはわからない。
実際に撃って初めて、自分のズレが見えてくる。


これは射的だけの話ではなく、
投資でも、仕事でも、勉強でも同じだ。

まずやってみて、失敗して、その結果から修正する。
このサイクルを回すことでしか精度は上がらない。

逆に、考えるだけで動かない人は、いつまでも的に近づけない。
最初の一発を撃たないことが、実は一番大きな失敗になる。


まずやってみる。外れてもいい。修正すればいい。
外れを恐れて撃たないことは、本当にもったいない。

詐欺師が売ってくるのは「あなたの願望」

詐欺師は簡単に人を操れる。
なぜなら、詐欺師が売ってくるのは、「あなたの願望」だからだ。


人間は情報を調べるとき、ゼロから客観的に探すことは少ない。
多くの場合、最初に「こうに違いない」という思い込みがあり、そこから逆算して情報を集める。

例えば、
「アイドルAが嫌い!」と思っている人は、きっと他の人もそうだと思い込む。

「A 嫌い」と検索すると、嫌い派の書き込みが山ほど出てくる。
「やっぱりAは嫌われてるんだ!」と確信してしまう。

逆も同じだ。
「アイドルAが大好き!」と思っていれば、今度は「A 大好き」で検索して、やっぱり人気者だと信じ込む。


これは政治でも、経済でも、健康でも、投資でも、なんにでも当てはまる。

インターネットが普及してからは、誰でも世界に向けて情報を発信できるようになった。

少数派ほど声が大きく、書き込みの量も多い。
しかも、その情報の多くは根拠が曖昧だ。

だから人は、自分の感情に合う断片だけを集め、それを「真実」と信じ込んでしまう。

一度そうなると、反論には耳を貸さず、攻撃的にすらなる。


アメリカが嫌い!」という思い込みがあると、

  • アメリカのやることは全部陰謀に違いない」
  • 「アポロの月着陸も嘘だ」
  • ネットで「証拠」を見つけて「これが真実だ!」となる

こうした心理を、詐欺師は徹底的に利用する。


ユリウス・カエサルが言ったとされる言葉がある。
「人を操るのは簡単だ。その人が求める答えを言ってやればいい」

まさにこれだ。

「あなたは特別です」
「この治療で必ず良くなります」
「実は、成功者だけが知っている秘密があるんです」

人が求めている言葉を差し出せば、疑うどころか感謝すらされる。
だから大事なのは、情報を客観的に見ることだ。


「これは本当に事実なのか?」
「自分の感情に都合が良いだけじゃないか?」

そう問い直すことが、詐欺師から身を守る唯一の方法になる。

人は真実よりも「信じたい言葉」に騙される。
だからこそ、自分の耳に心地よい言葉を一番疑うべきだ。

成功者、経営者の人は、必ず読んでほしい。きっと、いつか役に立つことだから。

成功者、経営者の人は、必ず読んでほしい。
きっと、いつか役に立つことだから。


去年から、ある事情で病院を転々とした。
最初の病院では「治るのに時間がかかる」と言われ、納得できなかった。
「もっと良い治療があるはずだ」と思い、いくつも病院を回り、最後に大学病院にたどり着いた。

そこの医師は、驚くほど聞き上手だった。

私はこれまで抱えていた思いを、つい全部吐き出した。
徹底した検査の結果は、最初の病院と同じ診断。

けれど今度は不思議と受け入れられた。
理由はただ一つ、「話を聞いてもらえた」からだ。

このとき理解した。
人は「話を聞いてくれる存在」に、どれほど弱いかを。


ここから、「成功者ほど怪しい治療にハマる理由」が腑に落ちた。

成功者や経営者には共通点がある。
「そんなの無理だ」と言われても覆してきた経験だ。

常識を疑い、新しいやり方を探す姿勢が、成功体験として染みついている

だが医療の世界は違う。
医師はドライだ。寄り添いすぎれば心が壊れる。
しかも今の医学は、治るまでの期間や余命まで、ある程度正確に見えてしまう。

だから淡々と、冷徹に伝える。

「余命はあと◯年です」や、br> 「治るまでには最低半年はかかります」など。

こう言われて、素直に受け入れられるだろうか?
成功体験に満ちた人ほど「もっと良いやり方があるはずだ!」と考えてしまう。
そして必死に別の治療を探し、SNSで助けを求める。

そこに現れるのが詐欺師だ。
涙ながらに「本当にお辛かったでしょう」と共感し、
「実は特別な治療があります。ただし保険外ですが…」と畳みかける。
スティーブ・ジョブズでさえ、その道を選んでしまった。

医者はセールスを学ばない。
しかし詐欺師はセールスとトークのプロ。

信じたい言葉」を武器に、人の心を揺さぶる。


自分も「そんな詐欺には引っかからない」と思っていた。
だが今回の経験で、可能性は十分にあると痛感した。
話を聞いてもらえる」だけで、人は心を開いてしまうのだ。

ビジネスの世界では「もっと良いやり方があるはずだ!」は武器になる。
しかし医療は違う。
医学は科学であり、膨大なデータと再現性に支えられている。
そこに素人の直感や希望は入り込めない。

成功者の思考法である、常識を疑う力は、医学の世界では命取りになりかねない。
成功者だからこそ危ない。これを読んでる人も例外ではない。

「直感」は使うべき?トレードに潜む「2種類の勘」を見抜く方法

トレードをしていると、
「ここは直感でエントリーだ!」
とか
「なんとなく上がりそうな気がする・・・」
と感じる瞬間があると思います。

その「直感」や「勘(カン)」には、実は2種類あります。

この違いを理解することが、
感情的なトレードから卒業するための大きな一歩になります。


【種類1】経験に基づく『直感』

これは、
「理由はうまく言えないけど、過去の経験から、こうなる可能性が高いと感じる」
というもの。

例えば、
・熟練の職人が、機械の微かな音の違いで「もうすぐ故障するな」と察知する。
・ベテランの漁師が、空の匂いや波の様子で「天気が荒れるぞ」と判断する。

これと同じで、チャートを何度も見ているうちに、
「この形は、上昇するパターンだ」
と無意識に脳が判断している状態です。

ここには、膨大な経験データという「見えない根拠」があります。


【種類2】願望という名の『勘』

こちらは、
「こうなってほしいなぁ・・・」という、
ただの希望的観測です。

例えば、
・含み損の株を眺めながら、「そろそろ上がるだから損切りしない方が良い・・はず」と願う。
・株価上昇に乗り遅れたくない一心で、「今買わないと後悔する!」と無理やりエントリーする。

ここにあるのは、何のデータ的裏付けもありません
これは「勘」ではなく、ただの「願望」です。


では、自分が今感じているのが、
経験に基づく「直感」なのか、
ただの「願望」なのか。

それを見分けるための、簡単なトレーニンがあります。

カンで動きたくなった時、
脳内にいる冷静な自分に、その理由を説明します。

もし、
グランビルの法則の◯番の形だから」
移動平均線で反発したから」
「過去の動きと酷似しているから」
というように、理由を言語化できるなら、
それは良い直感です。

その言語化を繰り返すことで、
直感はどんどん磨かれていき、当たる確率も上がってきます。

しかし、もし
「なんとなく上がりそうな雰囲気がある」
「これだけ下がったら反発するだろうから」
という答えしか出てこないなら、
それは危険な『願望』です。


自分自身は、本当はその違いに気づいているはずです。

トレードで迷った時は、ぜひ、
脳内にいる冷静な自分に相談してみてください。

勝率100%を目指すと失敗する

短期投資の勝率は、絶対に100%にはなりません。

株式投資、とくに短期投資においては、
トータルの勝率はおおむね60%程度
トレンドにうまく乗れたとしても、せいぜい70%程度でしょう。

つまり、10回トレードすれば3回は負ける計算です。


それでも多くの人が、勝率100%を目指してしまいます。

そしてその結果、
適切に損切りができず、
我慢の限界になってから損切りすることになります。

それまでの利益を一気に帳消しにするような、
大きなマイナスを抱えるパターンです。


覚えておいてください。
どの銘柄で稼いでも、お金はお金。

エントリー後に予測が外れたと感じたら、
すぐに見切って、次の銘柄を探せばいいのです。


逆に、利益を得るときもポイントがあります。

それは、最初に決めていた利確%を守ること。

たとえば「+10%で利確」と決めていたなら、
そのラインに到達したときにきっちり利確するべきです。

調子が良くて「もう少し伸ばそう」と思っても、
引っ張るのはせいぜい+15%までにしましょう。


結局のところ、感情を込めず、機械的に、淡々と行うことが、
短期投資で生き残るための最大のコツです。

勝率100%を目指すのではなく、
ルールを守り、損小利大の仕組みを徹底する。

それこそが、淡々と勝ち続けるための投資スタイルなのです。

記録するだけで投資成績が変わる

株式の短期投資において、きちんと自分の投資記録をつけている人は、驚くほど少ないのです。

逆に言えば、記録をつけて見直すだけで、
記録していない人たちを一気に追い抜くことができます。


記録をつけずに投資を続けるのは、
トランプの神経衰弱でめくったカードを覚えないようなもの。
見たカードの位置を忘れて、毎回運任せにめくっているような状態です。

これでは、「なぜ勝てたのか」「なぜ負けたのか」がわからないままになり、
同じ失敗を何度繰り返しても気づけません。


しかし、記録があれば、それを見直すことで、
自分のクセやミスのパターンに気づき、次のトレードに活かすことができます。

具体的には、以下のようなことが見えてきます。

  • どこで判断ミスをしていたのか
  • どの銘柄のパターンと相性が悪いのか
  • 自分のメンタルがどう動いていたのか

投資記録は、自分自身を客観視する「鏡」です。

そして、「ルールを守れたかどうか」も明らかになるため、
ルール破りへの強力な抑止力にもなります。


記録を残すために大切なのは、以下の3点を記録することです。

  • エントリー理由
  • 決済理由
  • その時の感情

たとえ一言でも構いません。
「書くこと」そのものが、最強の武器になります。

ぜひ、次のトレードから試してみてください。

「AIに頼る人」と、「AIを使いこなす人」の違い。あなたはどちら側?

AIとの接し方は、今後の生き方を大きく左右すると思っています。

最近は、AIエージェントを中心に使うようになって、
めちゃくちゃ便利になりました。

さまざまなAIがありますが、それぞれに得手不得手があります。
それをうまく見極めて使い分けると、この上なくうまく運びます。


ただ、大事なのは「指示の出し方」です。

たとえば、AIにプログラムを作らせることもできますが、
一発で望んだ通りのものを作らせるには、
人間に頼むとき以上に細かい仕様書が必要になります。

結局、そのような仕様書を作れる人でないと、
AIに正しく動くプログラムを作らせるには、
何十回もAIとやり取りを繰り返すことになり、
かえって余計な手間がかかってしまいます。

これはプログラムに限らず、他の作業でも同じです。
自分の思ったものを作ってもらうには、
「どこまで細かく、正確に指示できるか」が問われます。


ここで
「じゃあ、その指示書もAIに作らせればいいのでは?」
と思う人もいるかもしれません。

ですが、自分の脳内にあるものを言語化できていないと
結局AIに任せても、間違った指示書しかできません。

言うなれば、AIは
「言われたとおりのものを完璧に作る」、超優秀な大工さんのようなものです。

だからこそ、設計者は施主の本当に求めることを引き出し、
最善の間取りを考え、精密な設計図を描く必要があります。

「すべて大工さんにおまかせ」でも家は建ちますが、
望んでいたものとは違っていて、何度も作り直す羽目になります。


では、その「指示書」を作れるようになるにはどうすればいいか。
結局のところ、自分でしっかり勉強するしかありません。

この先、日常生活でAIと付き合うことは不可欠になります。

そのとき、

  • 考えることすらAIに任せ、知能がどんどん落ちていく人
  • AIを使いこなすために勉強し、的確な指示を出せる人

この2つでは、数年後に大きな差が生まれると思っています。

脳は筋肉と同じで、使わないとあっという間に衰えていきます。
個人的には、たった数年で、
若くしてまるで認知症のように頭が動かない人が、
大量に出てくるんじゃないかと危惧しています。

住宅ローンの繰り上げ返済は、「損をする行為」

住宅ローンの繰り上げ返済は、「損をする行為」だと私は思っています。

日本人は、借金を抱え続けることに強い恐怖心を持っています。

たとえば、35年の住宅ローンを組んでいるときに、
まとまったお金(例えば300万円)が入ると、
「少しでも返しておこう」と繰り上げ返済してしまう人が非常に多いようです。

ちなみに、以前TVで見た
「宝くじが当たったら何をしますか?」というアンケートの第1位は、
「住宅ローンの返済」でした。

ただ、私は繰り上げ返済はやらない方がいいと考えています。

理由は、大きく2つあります。


【1つ目の理由】お金が手元から無くなるリスク

300万円を返済に充てた場合、
当然ながら、その瞬間に手元の貯金から300万円が消えます

そのあと、もし病気・留学・親の介護・転職・事故など、
予想外の出費が必要になったら?

再びどこかから借りるしかありません。
しかしそのとき、年齢や収入状況によっては、審査が通らない可能性もあります。

仮に通ったとしても、金利は良くて年利4%前後

一方、住宅ローンの金利は今や1%前後です。

そんな超低金利で借りておきながら、
「なるべく早く返さなきゃ」と焦るのは、正直もったいないと思います。

さらに言えば、住宅ローンには団体信用生命保険がついています。
万が一、契約者に不幸があった場合、ローンは保険で完済されます。

ですが、もし手元のお金をすべて繰り上げ返済に回していたら……
手元に資金もなく、保険も活かされない。
想像するだけで恐ろしい話です。


【2つ目の理由】その300万円を運用したほうが、はるかに合理的

300万円もあれば、投資に回して資産を育てるという選択肢もあります。

仮に月利1%だとすれば、月3万円のリターン
税引後でも、手元には2万4千円が残ります。

これだけでも、住宅ローンの毎月の返済の一部に充てられますし、
使わずに運用を続ければ、複利でさらに資産が膨らんでいきます。

私は「株式の短期投資」が最も効率が良いと考えています。

理由としては:

  • 現物株なら売買手数料が無料
  • 税金がシンプルで管理が楽
  • 難しくなく、時間もかからない
  • 投資資本に対するリターンが比較的大きい
  • リスクが限定的で、暴落の影響も受けにくい
  • 必要なときにすぐ換金できる

特にこの「すぐに換金できる」という点は、本当に大きいです。
他の金融商品だと、現金化に時間がかかることもありますが、
株はスマホのボタン一つで即座に売却できます。


つまり、繰り上げ返済というのは、
「お金に働いてもらうチャンス」を自ら手放してしまう行為だと言えるのです。

もちろん、ローン返済による精神的な安心感も理解できます。

ですが、「手元に資産がある」という安心感のほうが、
私はずっと強いと感じています。

正しく学び、資産を育て、
いざというときに選択肢を持てる状態でいること。

その方が、私は圧倒的に安心だし、合理的だと考えています。

「努力すれば報われる」は幻想・・か?

子育てについて、最近あらためて考えることがあります。

私はこれまで、自分の子どもに対して、さまざまな工夫や投資をしてきました。
読書習慣の定着や、マインドフルネスの導入
そして上から目線ではなく「一人の人間として」向き合う関係性の構築

「理にかなった方法を、ただやり続けただけ」と思っていましたが、
周囲から見るとどうやら珍しいらしい、ということも最近わかってきました。

改めて思ったのは、

「子どもの育て方は選べるけど、どう育つかは選べない」

これは本当にその通りで。
例えば、大谷翔平選手と同じような育て方をしたからといって、
全員が大谷翔平になるわけではありません。

たとえば身長140cmの人がどんなに努力しても、
ヘビー級のボクサーにはなれません。
逆に、身長2mの人が競馬の騎手(体重45kg以下制限)になるのも現実的ではありません。

でも、身体的な特徴と違って、頭の中の「脳の体力や特性」は、
見た目では判断できません。

だからこそ、例えば、「有名進学塾で数年やれば最難関校に」のような、
「ちゃんと勉強させれば誰でもあのレベルに到達できる」
と思ってしまいがち。

でも、それは、やっぱり、 幻想です。

本人がその道を好きで、目を輝かせて、
努力を積み重ねられるならもちろん素晴らしい。

でも、 「この子ならきっとこうなれるはずだ」と、
親が勝手に方向を決めてしまうと、
子どもの人生は苦しいものになってしまいます。


とくに危険なのは、親自身の「叶えられなかった夢」を子どもに託すケースです。

ありがちな話ですが、
「自分はできなかった。だからこの子にはそれをやらせよう」
となってしまうと、
子どもは自分の人生を生きることができなくなってしまう。

才能というのは、コントロールできない「前提条件」です。
それを無視して努力だけを押しつけるのは、
子どもにとって不公平なことかもしれません。


育て方は親が選べます。
でも、どう育つかは、子ども自身が持っているもの次第。

その現実から目を背けずに、
子どもの個性や資質を冷静に見つめながら
親としてできることを淡々とやっていきたいですね。

そして何より、「あなた自身が、あなたであることに価値がある」と、
無条件に存在価値があることを日々の中で伝えていくことが、
どんな子育てよりも強く、長く、子どもを支えていくのだと思います。

「偉いね」よりも心が届く「アイメッセージ」

私が強く意識しているのが、いわゆる 「アイメッセージ」と呼ばれる伝え方です。

つまり、何かをしてもらったときに、「偉いね!」と評価するのではなく
「アイ(自分)」を主語にして
「自分がどう助かったか」「どう感じたか」を伝えること。


たとえば、娘が家のお手伝いをしてくれたとき。

「偉いね!」というのは、もちろん肯定的な言葉ですが、
どこか「上から評価している」ような響きが出てしまうことがあります。

それよりも私は、

「ありがとう!お風呂洗ってくれたおかげで、きれいなお風呂で入浴できる!」

というふうに、自分の気持ちや実感を言葉にして伝えるようにしています。

これは、単なる褒め言葉とは違って、
子どもが「自分の行動が、誰かの役に立っている」と感じられるメッセージになります。


この考え方は、子どもに対してだけじゃなく、家庭全体にも当てはまります。

たとえば、妻が夕飯を作ってくれたとき。

「美味しい?」と聞かれる前に、
「このハンバーグ、メッチャ美味い!!」
みたいに、自分の言葉で全力で美味しさと感謝を伝える癖を付けています。

何かをしたときは、無償奉仕でやったつもりでも、
やっぱり、それに対するフィードバックが欲しいのは誰でも同じ。

言葉で簡単にできることなので、
ぜひ家族内での習慣にしてみてください。