子育てについて、最近あらためて考えることがあります。
私はこれまで、自分の子どもに対して、さまざまな工夫や投資をしてきました。
読書習慣の定着や、マインドフルネスの導入、
そして上から目線ではなく「一人の人間として」向き合う関係性の構築。
「理にかなった方法を、ただやり続けただけ」と思っていましたが、
周囲から見るとどうやら珍しいらしい、ということも最近わかってきました。
改めて思ったのは、
「子どもの育て方は選べるけど、どう育つかは選べない」
これは本当にその通りで。
例えば、大谷翔平選手と同じような育て方をしたからといって、
全員が大谷翔平になるわけではありません。
たとえば身長140cmの人がどんなに努力しても、
ヘビー級のボクサーにはなれません。
逆に、身長2mの人が競馬の騎手(体重45kg以下制限)になるのも現実的ではありません。
でも、身体的な特徴と違って、頭の中の「脳の体力や特性」は、
見た目では判断できません。
だからこそ、例えば、「有名進学塾で数年やれば最難関校に」のような、
「ちゃんと勉強させれば誰でもあのレベルに到達できる」
と思ってしまいがち。
でも、それは、やっぱり、 幻想です。
本人がその道を好きで、目を輝かせて、
努力を積み重ねられるならもちろん素晴らしい。
でも、 「この子ならきっとこうなれるはずだ」と、
親が勝手に方向を決めてしまうと、
子どもの人生は苦しいものになってしまいます。
とくに危険なのは、親自身の「叶えられなかった夢」を子どもに託すケースです。
ありがちな話ですが、
「自分はできなかった。だからこの子にはそれをやらせよう」
となってしまうと、
子どもは自分の人生を生きることができなくなってしまう。
才能というのは、コントロールできない「前提条件」です。
それを無視して努力だけを押しつけるのは、
子どもにとって不公平なことかもしれません。
育て方は親が選べます。
でも、どう育つかは、子ども自身が持っているもの次第。
その現実から目を背けずに、
子どもの個性や資質を冷静に見つめながら、
親としてできることを淡々とやっていきたいですね。
そして何より、「あなた自身が、あなたであることに価値がある」と、
無条件に存在価値があることを日々の中で伝えていくことが、
どんな子育てよりも強く、長く、子どもを支えていくのだと思います。