言われてみればそうだよね

不労所得で7年ほどセミリタイアして子育てしてましたが、2018年から復帰して投資講座を始めました。

「知ったつもり」が一番危ない

「知ったつもり」が一番危ない。


「知る」には3つの段階があると思う。

  1. 知識として知っている状態
  2. 経験として知っている状態
  3. 腑に落ちた状態

チョコレートで例えるとわかりやすい。

  • 「チョコは甘い」と本で読んだのが第1段階
  • 口の中に入れて甘さを体感したのが第2段階
  • 飲み込んで消化して、自分の血肉にしたのが第3段階

多くの人は第1段階で「わかった気」になってしまう。
ここが一番危ないところだ。

人にドヤ顔で語り出すのも、この第1段階のままのことが多い。

心理学では「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれていて、
知識が浅い人ほど「自分はよく理解している」と勘違いしやすい。

逆に、本当に理解が深まってくると、
「まだ自分は何も知らない」と感じるようになる。


つまり――

  • 第1段階で止まっている人ほど自信満々に語り、
  • 第3段階に近づいた人ほど静かになる。

でも、それぞれの段階を進むハードルは高い。
チョコをいつまでも食べない人もいれば、口に入れたまま飲み込まない人もいる。

特に第3段階は特別で、経験したからといって必ず辿り着けるわけじゃない。
むしろ、必死に理解しようとするより、
ふとした瞬間に全てがつながる。

そこまで行くと初めて、
「今までの自分は何もわかっていなかった」と気づく。


古代の寓話『莊子』より

あるとき斉の桓公という王が本を読んでいた。
車輪の職人がそれを見て「何を読んでいるんですか?」と尋ねると、桓公は「古代の聖人の知恵だ」と答えた。

「その聖人はまだ生きておられるのですか?」
「いや、すでに亡くなっておられる」

すると職人は答えた。
「それではあなたが読んでいらっしゃるのは、ただの聖人の残りカスですな」

怒った桓公に、職人はこう続ける。
「私は車輪を作る職人ですが、ちょうど良く作るコツは言葉では伝えられません。
息子に教えようとしても、どうしても伝わらない。やってみて、体で掴むしかありません。
もしその本を書いた聖人がもう死んでいるのなら、文字にできなかったものは全部消えてしまっています。
それならば、今読まれているものは、ただの残りカスではありませんか」


第3段階の理解は、まさにこの「言葉にできない部分」にあたる。
言葉や文字で届くのは第1段階まで。
その先は、自分で体験して、自分の中で腑に落とすしかない。

知識は借り物。
でも――

腑に落ちたとき、初めてそれは自分のものになる。