「覚悟する」と「あきらめる」は違うものなんだけど、 どうもごっちゃに使ってる人が多い気がします。
例えば、初めてセミナーを開こうかという時、
「お客さんがたとえ一人しか来なくてもいい」
というのが「覚悟する」。
「お客さんが一人しか来なくても仕方がない」
というのが「あきらめる」。
「覚悟する」というのは、
「そうならないように全力を尽くすが、たとえそうなったとしても受け入れる」
というもの。
覚悟はその経験を次に活かせるが、 「あきらめる」だと、次に何も産まない。
その「覚悟」というのは、どれだけの、名人・達人になっても必要です。
ある綱渡り名人の話では、
「貼られたロープの上をスイスイと歩くためには、
落ちることを覚悟して覚悟して、
それをし尽くして、もう覚悟さえ必要としなくなった時、
初めてスイスイと渡れるようになる」
また、「覚悟」は、「真剣さ」も生み出します。
「真剣さ」と、「熱心さ(頑張り)」も、また違うものです。
「真剣にする」は、回数に関係なく、いまやろうとしていることに全神経を集中して行うこと。
「熱心にする(頑張る)」は、気持ちだけが先走り、粗削りで、集中力を欠いています。
例えば、子どもが料理で包丁を扱うときに、「怪我をしないように」と掛ける言葉は、
「真剣にやりなさい」
「熱心にやりなさい(頑張りなさい)」と言う人は少ないと思います。
真剣にやってる人は、
「自分の行動が何を引き起こすか」
を覚悟して動きますが、 ただ熱心にやってるだけの人は、 その覚悟がないから結果を出せないのです。
谷間にかかった丸太の一本橋は、 真剣にやれば渡ることができますが、
熱心なだけでは渡り切ることはできないのです。
昔、プロ野球で三冠王を何度も取った落合博満選手は、 打撃練習では、何時間も「熱心に練習する」のではなく、
たった一球だけの練習でした。
投手に、自分の体に向かって投げさせ、それを打ち返す、ということをしたそうです。
これこそは、熱心と言うより、
真剣な練習だったのでしょう。